仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)は日露戦争での日本海軍とロシア海軍との間の海戦。旅順港への奇襲と並行して行われ、日露戦争の口火を切った戦いとして知られる。
2月8日、日本海軍第四戦隊は、帝国陸軍の先遣隊一個旅団の上陸支援を行ったが、同時に仁川港に停泊中のロシア太平洋艦隊所属の艦船を撃破する任を負っていたため、港内のロシア艦隊に退去勧告を行い、退去しない場合は攻撃を加える旨を伝えた。
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2月9日退避勧告によってに仁川港から出航したロシア艦隊を待ち構えていた日本艦隊の砲撃で、一等防護巡洋艦「ヴァリャーグ」はまもなく大破した。圧倒的な戦力の前に仁川港に引き返し、乗組員を上陸させたのちに鹵獲を避けるために航洋砲艦「コレーエツ」とともに自沈した。両艦は、大軍を前に決して降伏しなかった武勇艦としてロシアの歴史にその名を残している。戦闘後、「コレーエツ」は放棄されたが、「ヴァリャーグ」は引き上げられ二等巡洋艦「宗谷」として日本海軍に編入された。
砲艦(ほうかん)は軍艦の一種であり、比較的小型で主として沿岸・河川・内水で活動する、火砲を主兵装とした水上戦闘艦艇の事を指す。英語ではGunboatと称し直訳すると砲艇となるが、日本語では比較的大型のものを砲艦、小型のものを砲艇と使い分けることが多い。
砲艦の範囲は広く、海防艦も砲艦として含める事がある。また、フランスなどで現在も使用されている(植民地)通報艦(水雷砲艦やスループともいう)も広くは砲艦に入れる場合が多い。また、単に砲艦(砲艇)と称する場合は河用砲艦(砲艇)を指す事もある。
砲艦を設計思想に基づいて大きく分類すれば、
モニター艦の様に船体規模に比べ強力な火砲を備え、有事に前線での戦闘に使用する重武装の砲艦
武装は比較的少ないが、強力な通信・指揮能力を備えており、平時の警備任務に重きを置いた砲艦
の二つに分けることができる。必ずしも一般的な分類ではないが、便宜上この分類に基づいて説明する。
有事用の砲艦
汎用小型水上艦としての砲艦
本格的な軍艦を保有できないポルトガルやベルギー等の小国を中心に、沿岸防衛を目的として排水量2000トン以下程度の低速な小型艦を配備していた例があり、一般に砲艦と呼ばれる。19世紀後半に建造された、大口径の主砲を固定式に1門だけ搭載したレンデル式砲艦がその典型例である。海防戦艦は、こうした系列の砲艦の延長上の存在と見ることもできる。
ロンドン海軍軍縮条約の制限外艦艇として建造された艦艇にも、この系列の砲艦がある。
代表例として以下が挙げられる。
赤城 - 日本海軍の砲艦として黄海海戦 (日清戦争)に参加。
鎮東 - 中国海軍のレンデル式砲艦。
重武装の「砲艇」
特に小型の砲艇サイズのものには、有事に前線での戦闘任務につくことを想定した設計のものが多い。第二次世界大戦中のソビエト連邦においては河川において戦車砲塔を搭載した装甲砲艇(河用モニター)が、イギリスにおいては機動砲艇が魚雷艇と共に港湾・沿岸防衛に用いられた。ベトナム戦争においてアメリカ海軍は揚陸艇や民間用ボート(プレジャーボートを改造したPBR、沿岸油田用のリグ支援艇を改造したPCなど)を改造したものを河用砲艇として実戦に投入した。また、後期には対地攻撃に特化した強襲支援哨戒艇(Assault Support Patrol Boat:ASPB)と呼ばれる小型の河用モニターが建造されている。
日本では日中戦争において陸軍が、装甲艇と呼ばれる一種の揚陸支援艇を事実上の河用砲艇として使用した。満州国軍江防艦隊(河川部隊)が黒竜江の警備に投入した砲艇もこの前者の範疇に入るものであった。
ロシア、ウクライナ、セルビア等で使用されている砲艦はこうしたタイプの発展形であり、現在でも国境警備等に使用されている。この他、ミャンマー、カンボジアなど政情不安であり、河川や湖沼が戦略の要衝となりうる国では、アメリカ製PBRやソ連製の1204号計画「シュメーリ」型河川国境警備艇などが使用されている。
平時用の砲艦
第二次世界大戦以前の中国において活動した諸外国の河川砲艦が代表的である。これらは揚子江の深さや速度に合わせた設計の艦艇であり、喫水が非常に浅く作られていた。このため、日本においては下駄舟とも呼ばれた。映画「砲艦サンパブロ」で揚子江における米国砲艦が描かれている。これらは大洋の航海に耐えないため、ほとんどは本国で建造して分割したうえ別の船で運ばれ、現地で再び組み立てられた。しかし、小型艦の運用に慣れたポルトガルやベルギーではしばしば小型の砲艦を本国と植民地へ往復させたりも出来た。
武装こそ少ないものの指揮・通信能力は高く、「動く領事館」として簡易の外交施設や貴賓室を設ける事もあった。これらは戦闘よりも、もっぱら政治・外交活動として用いられた。砲艦外交の由来は、この中国における諸外国の砲艦派遣に拠る。 そのため、国家の代表者として小型艦でありながら艦長には少佐以上の高級将校が当てられることが多く、また日本海軍では駆逐艦などより格上で菊の御紋を有する国内法上の狭義の「軍艦」とされるなど、格式が重視される傾向があった。 第二次世界大戦後、こうした揚子江の砲艦は消滅した。
中国以外の地域の植民地の大河や港湾にも、主に居留民保護のためにこの範疇の砲艦が配備される例が見られた。広義の砲艦に含まれる植民地通報艦も、それほど戦闘能力が低いわけではないが、用途からすれば同じである。
現在、南米のブラジルやパラグアイなど、大河流域の国においては下駄舟タイプの砲艦(砲艇)が多く存在している。こうした砲艦(砲艇)は武装は少ないが(76ミリ砲を搭載しているタイプもある)高い通信能力を持ち、高度な医療設備やヘリコプター甲板を持つ事もある。このため、本来の河川警備の他に巡回医療など流域における民生活動を行う事もできる。
代表例としては以下が挙げられる。
パナイ - アメリカ海軍の河用砲艦。
伏見 - 日本海軍の河用砲艦。
日本海軍における砲艦
英語ではGunboatと称し直訳すると砲艇となるが、これは戦前の大日本帝国海軍において、幕府海軍や諸藩から献納された軍艦の大半がGunboatであり、新政府軍の保有する最大級の艦艇であったためである。以後、Gunboatをしのぐスループやクルーザー(「クルーザァル」と表記した)が続々と就役し、相対的にGunboatの地位は低下していく。1898年(明治31年)に初めて軍艦の類別を制定した際に、Gunboatのみならずコルベットも砲艦に内包した。後に通報艦も砲艦に吸収されている。
このような伝統から、伏見をルーツとする小型の河川砲艦も、菊の御紋を装着して正式な軍艦として就役した。前述したように外交上の交渉を担うことも多いため、格式が重視され、艦艇扱いではなく上位の軍艦扱いされたという理由もある[1]。ただし、他の軍艦艦長は大佐が任命されるが、砲艦艦長の場合は、駆逐艦長・潜水艦長・軍艦副長を歴任し、大佐昇進を目前にした中佐が任じられた。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)の改定で、砲艦は国内法上の狭義の「軍艦」からは除かれ、「軍艦」や「駆逐艦」と並ぶ独立の艦種である「砲艦」に格下げとなった。そのため、艦首の菊の御紋も機を見て撤去された。
^ この点について、「国際法上の軍艦としての地位を得るために軍艦に類別された」とする見解があるが、国際法上の軍艦資格は日本の国内法上の「軍艦」の地位を有するかとは無関係に決まり、誤解である。例えば日本国内法上の軍艦に該当しない駆逐艦も、国際法上は軍艦である